【感想】2009-12-7

国へ帰れば普通の人間の着る物を着て普通の人間の食う物を食って普通の人の寝る処へ寝られる。少しの我慢だ、我慢しろ我慢しろ、と独(ひと)り言(ごと)をいって寝てしまう。寝てしまう時は善いが、寝られないでまた考え出す事がある。元来我慢しろと云うのは現在に安んぜざる訳だ――だんだん事件がむずかしくなって来る――
そうなのだ。
寝てしまえるときは言いのだけれど、いろんな不安がつのりきって、眠れない日々が続くと辛いなんてものではない。
倫敦に居て、英国や日本の悪口を言ったり、文句を言ったりと力を抜いて言いたいことを言っているのが面白い。
明治屈指のエリートだって、こんないい加減なことを考えているのだから、人間なんていう生き物は所詮、つまらなくてたいしたことがないんだなあと、つくづく思う。

仕方がないから今日起きてから今手紙をかいているまでの出来事を「ほととぎす」で募集する日記体でかいて御目にかけよう。

まあそれはあくまで書かれていることへの反芻であって、日記体で書こうと宣言して書いているこの文章がいま読んでも、「日記」として完成しているところが凄いのだろう。
それまで「日記体」なんてものは、そんじょそこらには無かったものなんだから。

ここには漱石が倫敦で転々とした下宿のことがあれこれと描写されている。
秀才にして文豪になろうとしてる若者が身の回りのことはすべて自分でやらないといけない、というのは時代だからだろう。
もう少し時代が下れば、頭のいい人は外務省やら自治体なんかの援助がいろいろあるだろう。
まだまだ普請中の開化時代だったから、いろんな苦労を漱石もしている。

運命の車は容赦なく廻転しつつある。

その通り。
運命も世の中も会社も人間も容赦ない。
どうやって明日を生き延びるか、それだけのために生きている時もある。
そんなことを漱石も考えている。

のみならず報酬を目的に働らくのは野暮の至りだ。

若い頃なら、単純に頷いたことも、今この中年の身となっては沁みるものばかりで、反抗のしようもない。
自分のことを考える時間もない。
あわよくば明日は何もない平穏な日であることを願うだけなのに、それさえ叶わない。いまの世の中に忘我の地などありようがないのだ。
漱石いわく、

今のように未来に御願い申しているようではとうていその未来が満足せられずに過去と変じた時にこの過去をさらりと忘れる事はできまい。

いまの世の中ほど、人間の業がわかりやすく見える時代はないだろう。


羊男

物語千夜一夜【第百三夜】