村上龍

『コインロッカー・ベイビーズ』

『ヒュウガ・ウイルス』 

『ストレンジ・デイズ』 

『悪魔のパス 天使のゴール』 

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羊男の感想を集めました。

『悪魔のパス 天使のゴール』
帯にある中田英寿の「これだけ緻密にサッカーを描いた小説を読んだのは初めて」という言葉の通りの小説だと思う。
サッカーを題材にした小説というのは実はそれほどない。
いくつかは読んだことはあるのだが、サッカーを通じて人生を語ったり、知的な遊戯の道具でしかなかったり、フーリガンの生態であったりと、意外とピッチ場の選手やサッカーそのものを描いた本はまれなのだ。

あるいはノンフィクションにしても、ゲーム内容を克明に描いているものも少ない。
いわゆるサッカーフリークとしての視点しか持っておらず、素人では理解できない言葉使いに耐えなければならない。
それゆえにこの村上龍の本は、サッカー小説としては非常に突出したものだと言える。

ただ残念なのは、つまらない演出がストーリーとして展開されていることだ。
これが非常にイライラする。
とにかくつまらない。
それはサッカー選手の死を招くドーピング剤の行方を主人公である日本の作家が追っていく、というのがそれなのだが、とにかく中途半端なテーマでなぜこんな幕間が挿入されているのかわけがわからない。
できればそのあたりのストーリーを全てカットして、再編集して読みたいぐらいだ。

まあそれでも我慢ができる範囲ではあると思うので、サッカーファンには魅力的な本だとは言える。
それだけ魅力のあるサッカーを描いているのだ。
その魅力の大半は、イタリアのセリエAの有名実力選手が登場するところにある。
特に後半のほとんどを費やすユベントス対メレーニア戦は圧巻だ。
ジダンやダーヴィッツ、デル・ピエーロやインザーギといった選手たちのピッチ上の動きを緻密に描ききっているのだから。

重要なのは、このメレーニアというのはペルージャのことであり、主人公である日本人選手の夜羽冬次というは中田英寿を模して描いていることだ。
中田英寿がペルージャに所属していたときの「あの」ユヴェントス戦を描いているのだ。
もちろんいきなり2点のゴールを叩き出した鮮烈なデビュー戦も有名だが、リーグ優勝をかけたこの一戦はあのジダンに「ナカタがいたから優勝できなかった」と言わしめた試合なのだ。

それだけ事実を模した内容なので、読んでいる最中に何度もなぜ村上龍はノンフィクションとして描かなかったのだろうか、と思わされた。
まあ、中田と村上龍のプライベートな友達関係が書かれているみたいなものだから小説という形態でなければ難しいことではあるのだろうけど(ジュネとかいった雑誌ではこの2人の関係はどう書かれているんだろうなあ)。

それでもできればこの本の厚さの3倍ぐらいのボリュームでもっともっと克明に、さらに緻密に試合内容を書いて欲しかった。
大昔「アストロ球団」という野球漫画があって、ひとつの試合に10冊ぐらいのボリュームをかけて描いた無茶苦茶なものがあった。
週刊誌の連載ものだったから、読み出して1年ぐらい経ってもまだ、一日数時間程度の試合が終わらないのだ。
まったくプルーストも真っ青の漫画だった。
読んでいてそんな漫画を思いだし、この小説もえんえんと終わりなくサッカーを描いてくれればうれしいなあなどと思ったものだ。
とにかく後半のユベントス対メレーニア戦だけは再読するほど、面白かった。

現実には大雨の中で行われた日本対トルコ戦はナカタは孤独な形で奮闘していたように見えた。
この本の中の夜羽冬次も孤独な存在として描かれている。
それは2年前のシドニー・オリンピックでのアメリカ戦とよく似ていた。
周りの選手たちはなぜトルコ相手に勝てないのだろう、どうしてアメリカ相手にこんなに苦労するのだろう、といった雰囲気だった。
ただナカタだけ孤独にが、正確なパスを通し続けていたと思う。

新聞やテレビでは日本代表は夢と希望を与えたという、いつもの紋切り型の文句で日本のワールドカップは終わってしまった。
でも何かが違うんだよなあ。
そんな簡単に納得できるものではないたのだ、サッカーは。

-2002.6.23-