村上龍

『コインロッカー・ベイビーズ』

『ヒュウガ・ウイルス』 

『ストレンジ・デイズ』 

『悪魔のパス 天使のゴール』 

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羊男の感想を集めました。

『コインロッカー・ベイビーズ』
この小説は初めて読みましたが、もしかしたら村上龍の最高傑作なのかも知れませんね。
退廃という雰囲気をある種の音楽や映画が出す場合、ヨーロッ パ的な感性が非常に重要な位置を占めているのですが、この小説の場合にはあくまで日本的、東京的な退廃感覚がうまく現されていると思います。
それは土着的とかいうことではなくて、この小説が書かれた1980年という時代の世紀末的な気分がとてもよく表出されているといったことです。

今思うとこの時代は音楽的にはニューウェイブといった、パンクが痴呆化して伝統的な暴力装置となってしまった後に出てきた、知性的な退廃さを装うジャンルに象徴されるような、出口の見えない背後から襲ってくるような恐怖心からくる不可解な破壊衝動といった時代感覚があったのですが、その感 覚に満ちあふれている世界を描き出しています。

その破壊衝動の描き方も直線的ではなく、村上龍らしく迂回的でストイックな表現でコインロッカーに捨てられた子供たちの破壊行動を、じりじりと描いていく過程の密度の高さが他の村上龍作品にはない、緊迫さを生んでいます。

この小説を読んだことのある方なら、この物語のラストにおいてまるであのサリン事件を思わせるような終わり方をしているのを、思い出して頂けるでしょう。
この小説が書かれた当時のジャンル分けもSFではなく、近未来小説といったラベルを付けられていた如く、予測性の高い想像力を持っていたことは確 かなのでしょう。
おそらくこの預言的な小説は、サリン事件以前・以後では読み手のスタンスが大きく変わる、その読み方が大きく異なっていると思います。事件以前の 評論などを読むとしたら、その無責任な未来感に眉をひそめてしまう気がするのではないかと思います。

それ以外にも登場人物に魅力的な人間が多いですね。特にロック関係者の描き方には独特なものがあって、最近の龍作品には見られないような社会と人 間の関係理解のキーワードとして使われているほど、多面性を持たせていますね。

そのためか、同じ倫理的な衝撃性を持って迎えられた「夜光虫」との違いはあくまで「夜光虫」の背景は複雑だけど、個人的な物語なのに対して、「コ インロッカー」の方は人類の未来の可能世界の断面はどのような光景なのか、といった集団無意識的な役割をベイビーズが与えられているという点だと思 います。
それがどことなく演劇的効果をもたらしているため、様々な映画的、劇画的な手法を多用していることもさほど不自然ではなく、むしろ象徴的に読むこ とが可能になっているんですね。

極めつけは、ラストの「俺たちはコインロッカー・ベイビーズだ!」というくさいフレーズが、とってもかっこよく響いてしまうところにあります。なかなか凄い名作でした。

-1999.5.4-