村上龍
『コインロッカー・ベイビーズ』 | 羊男の感想を集めました。
『ストレンジ・デイズ』 【粗筋】 絶望から狂気へ向かっていった反町は深夜のコンビニで天才的な演技力 を持つ無名の少女に出会う。彼女は巨大なトラックを運転し、血管の中に虫を飼っているのだと言った。 二人の「ストレンジ・デイズ」(奇妙な日々)が始まる。果てのないロールプレイの、ゲームではなく、現実の日々・・・(帯より) 【感想】 『ストレンジ・デイズ』ドアーズ、『ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート』ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、『ヴードゥー・チャイルド』ジミ・ ヘンドリックス、『ゼア・サタニック・マジェスティズ・リクエスト』ローリング・ストーンズ、『ベガーズ・バンケット』ローリング・ストーンズ、『ブラック・マジック・ウーマン』サンタナ、『ハロー・グッドバイ』ビートルズ・・・・・
といったタイトルが章立てになっている、40代中年男性の心情吐露が中心になっている小説です。
ところでこの本を読みながら感じていたのは、村上春樹との相違性だったんです。
この『ストレンジ・デイズ』と同じ位相にあるのが『ダンス・ダンス・ダンス』だと思います。このふたつの作品を対比しながら読むと、彼らが若い頃に聴いていたポップスやロックの違いがそのまま二人の小説世界の違いだという気がしてくるんですね。
この普遍論争と模して考えると「唯名論」が村上春樹で、「実念論」が村上龍なんだと思う。あくまで村上春樹の場合は具体的に触れたり考えたりできる世界で物語を組み立てているし、個人と世界の関係なんかを考えるときに必ず自分の中の必然性をかきあつめて納得しているんですよね。あくまで自分という個人があって世界が存在する。すごく登場人物にリアリティがある。
だから神的なものが希薄なんだけれども、村上龍の場合には登場する人物がどことなくみんな存在がぼやけている。それは物語の背景に必ず「使命」的なものが感じられるからなんだと思うんですね。それは世界の側にとってみれば神的なものであるし、個人の側にたてば運命的なものに感じられてしまうのですね。
だから村上龍は常に社会に敏感なんだと思う。
しかし改めて思うけど、60年代、70年代のロックはいまだから貴重ですね。 -1998.4.4- |