『グラン・ヴァカンス』飛浩隆
《ハヤカワSFシリーズ Jコレクション》 早川書房
【紹介】
ネットワークのどこかに存在する、仮想リゾート〈数値海岸〉の一区画〈夏の
区界〉。南欧の港町を模したそこでは、人間の訪問が途絶えてから1000年もの あいだ、取り残されたAIたちが、同じ夏の一日をくりかえしていた。
だが、「永遠に続く夏休み」は突如として終焉のときを迎える。謎のプログラ ム〈蜘蛛〉の大群が、街のすべてを無化しはじめたのである。
こうして、わずかに生き残ったAIたちの、絶望にみちた一夜の攻防戦がはじま る――仮想と現実の闘争を描く《廃園の天使》3部作、衝撃の開幕篇。
《ハヤカワSFシリーズ Jコレクション》紹介文より
【感想】
独特の語り口。
そして実に不明な舞台設定とモノトーンな光景。
けれど不条理ではなく、精緻に構成された物語の展開があり、知的に過ぎる登 場人物たちの語りがそこにはある。
果たして新しい小説なのかと言えば、著者があとがきで記しているように、古 い形式の小説なのである。
この古い、という言葉の意味には注釈が必要であり、かつて70年代あたりに SFで起きた「ニュー・ウェイブ」というジャンルの小説形式ととても近いも
のなのだ。
このジャンル小説の代表者には、J・G・バラード、B・オールディズ、荒巻 義雄、山野浩一といった作家の名前が並ぶ。
読んだことのある人にはよくわかる世界だ。
読んだことのない人には、例えば魔法世界を舞台に描くファンタジーの文脈で、 こちこちの現代文学風な物語を描いている、とでも言えばよいのか。
しかしこの小説には魔法は出てこない。
それに近いのは未来のハイテク感覚であり、バイオ的な感覚だ。
しかしそれらは現実のテクノロジーとは無関係であり、あくまでこの作者の頭 の中で考え出された技術であり、この物語世界の中だけで通じる論理なのであ
る。
つまりはファンタジーの一種なのであるが、一頁でも読めばそれが同じジャン ルのものだとは認めがたいほど、独我的で隔絶的な、あるいは永劫的なひき籠
もりといってもよいほどの、硬質な物語なのである。
物語は、或るネットワークのどこかに存在する、今は放棄された仮想リゾート を舞台にしている。
ここから既にイメージが不明であり、読者の想像力に任されるのである。
そしてこの何らかの理由でうち捨てられた世界は、静寂に満ち、美しさとそれ に比例する哀しみで構成されたガラスのような脆い人工物である。
この世界に突如、「蜘蛛」と呼ばれる侵略者が現れ、AIと呼ばれる住人たちと 「蜘蛛」の戦いが繰り広げられていく。
こうして書いてしまうと、よくありそうなSFであり、アニメのようなものだ。
だが、それらのジャンルと一線を画しているのはこれまで読んだことのないよ うなその造形の創造性であり、この著者の頭の中だけで自己完結している世界
の論理である。
その論理に読者が入り込み、共感するのは難しい。
なにを基準にして、喜怒哀楽があるのか、筋道をたどるのは困難なばかりか、 読むことの楽しささえ奪ってしまうような自己完結な世界なのだ。
しかし多数のエンターティメントを期待することをやめて、そこに語られてい る文章を異なものとして眺めていると、不思議と未知の世界の輪郭がたちあが
ってくるのだ。
それがひどく心を突いてくる。
そうした意味ではこの小説は芸術的と言えるのだが、それは文学というよりも 建造物に近い、アーティフィシャルなイメージなのだといえる。
私たちは現代日本の物語を当たり前に受け入れているけれども、それは現実に ここで生活しているからであって、その経験を前提に様々なイメージングを本
を読んでいるときに行っている。
だから、源氏物語と昨今の恋愛物語を比較することは非常に困難なことだ。
同様に現代の論理学と古代インドの論理学を比較することも簡単ではない。
それと同じような種類の読みを、この小説は要求しているのだと思う。
当然この物語はその創造性にばかりこだわり過ぎて、単なる前衛小説と捉えら れてしまうのかも知れない。
ただストーリー展開としては、次々に起こる事件には連続性もあるし、ドラマ もある。
決して物語が難しいのではなくて、ストーリーとしてはとても単純明快な、未 知の敵との攻防戦であり、読んでいけばそれなりの展開が繰り広げられる。
この飽きさせない物語性を持続させながら、隔絶した世界を描ききるというの は並みの作家ではない、ということを言いたいのである。
ぜひこの硬質な幻覚性と独創的な世界観、それでいて現代的な孤独感に満ちて いる、月夜のような小説を味わってほしいと思う。
★羊男★2003.4.27★
物語千夜一夜【第八十四夜】
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