このジャンルでは古典らしいので読んだけど、言ってることが単調で読んでいてつまんなかった。もっと独自の発想がないとねえ。
いわゆる早すぎる自伝というやつだけど、生き方が売りの作家だから、面白くないわけがない。
いまどき喧嘩が強くて文章もうまいなんて、昔でいうならば文武両刀の作家なんて少ないからね。
この推理小説にはたまげました。
この作家の第二弾である「美濃牛」は既に読んでいるのだが、それを上回る圧倒的なな読書体験である。しかもこちらの方がデビュー作とは。
日本にはまだまだすごい作家がいるのですね。
この推理小説はイエスのようなプログレッシッブロック・グループの音楽のようにすさまじいほどの変拍子でいっぱいだ。
このテクニックに裏打ちされた構成とマニアックな知識が相乗されたこの小説は、まさに日本の新青年系推理小説の歴史に正当な嫡子としてふさわしいものである。
笠井潔の登場以来の興奮である。
2000年に書かれたこの小説はかなりの確度で日本経済の予測が当たっている。
なんだか空恐ろしいが、このぐらいの能力がないと金融界でトップの名声にまでいくことは難しいのかも知れない。
それならばこういう人が金融大臣とかやってくれればいいのにと思うのだけれど。
このシナリオ通りにまだ行ってないのが「通貨が堕落するとき」という副題の状況だ。
金融音痴でもそこそこ分かるよくできた金融小説だ。
日本人でノーベル経済賞を取るとしたら、この人しかいないと言われている経済学者の
一般人向けの本だ。
内容はこれからの日本と経済、その中で揺れ動いている会社というシステムについて平
明に書かれている、わかりやすくて刺激的な本である。
どうして今の日本経済の低迷があるのか、果たして日本の「会社」というのはどのよう
な存在でどんな仕組みで動いているのか、私たち労働者というものはどのようにこの会
社や日本経済と関わっているのか、そしてこれからどんな役割を私たちと会社は担おう
としているのか。
こうしたことをくっきりとした輪郭を明示しながら、推論を進めていく筆致はまさしく
プロだと思える論考となっている。
根底的な資本主義とは何か、といった議論にも紙幅を割いているので、いまの世界が物
事や思考の「差異」を追求していくしかない複雑化した怪物のような様相となっている
ことを何度も諭さられる仕組みともなっている。
そして論考はさらに未来に及び、資本主義の未来としては経済活動はどんどん細分化し
ていって、いづれNPOや個人業態が主流となるだろうと結んでいる。
私がとても感じ入ったのは、冒頭の次の文章でした。
アメリカ型の株主主権論がこれからの会社のあり方のグローバル標準とはなりえない、
とわたしが言うことの第二の根拠は、まさにその二十一世紀の資本主義において、おカ
ネ(資金)の重要性がますます失われていくということにあります。
株主とは、会社にたいする究極的なおカネ(資金)の供給者ですが、このおカネの供給
者の力がこれからの会社のなかのバランス・オブ・パワーにおいて、ますます軽くなっ
ていくはずであると論じようと思っているのです。
その意味で、未来に向けて繁栄していく会社の姿は、かならずしも株主主権的な会社で
はないはずであるのです。
リストラといった今の日本の現況を含め、自分の身の回りの経済を考えるのにはとても
良いテキストであり、アメリカ型の経済にもその答えはないとする論旨にはとても頷け
るものがありました。
今ごろになって、ですが、オープンソースの基本文献であるレイモンドの三部作を読みました。
これはウェブとかインターネットに関わっている人とか、それを生業にしている人には必読の論文で、読んだことがない人は素人といわれても仕方がないものです。
かの山形浩生訳の「伽藍とバザール」「ノウアスフィアの開墾」「魔法のおなべ」を中心として、オープンソースの関係者のインタビューなどをまとめた本です。
よくインターネット革命という表現をする人がいるけれども、もしかしたらそれほど大げさではない、と思わせられたりもする。
これはインターネットを支えているウェブサーバとかメールとかオペレーションシステムを無料で開発し、無料で提供している人たちの思考や行動をまとめた、マニフェストとも読めるからだ。
マニフェストと言えば、ダダやシュールレアリズムの宣言が有名だけど、そうした運動が一般にまで影響が及ぶことはなかったと思う。
しかし今のインターネットはテレビ並みの普及に向かいつつあるからだ。
まあいま、インフラの水道や電気の仕組みを知りたいとういう人は少ないと思うけれど、インターネットと同時代に生きる私たちには知っておいて損はない、ハッカーの文化圏がまさにリアルタイムで描かれているのだ。
実際ここに載っている論文はインターネットで無償で読むことができる。
それを印刷した本で読むというのも個人が選ぶひとつの選択肢なのである。
ここにはお金の価値が絶対値ではない、思考と行動の実践がたくさん詰まっている。
実にくだらない本なのである。
知る人ぞ知るヒバゴンとかヤマゴンとかクイゴンといった獣人とか、イッシーとかクッ
シーとかトッシーとかモッシーといった怪竜とか、ツチノコやカッパのとの遭遇事件を
集めたものである。
ウルトラQ世代はこういう本に抵抗力がないのである。
マンガを読むのは久しぶりだ。
これはむちゃくちゃなSFで、現代と中世代白亜期が繋がっているミステリーホールが
見つかり、恐竜が生息している世界に迷い込んだ人間が巻き起こす、ジュラシックパー
クみたいな話だ。
それでも強引に読ませてしまうのはこのマンガ家の実力で、一気に読んで寝不足になってしまいました。
サブタイトルに「極東発、世紀をまたぐ視線」とある。
「大正に軍を軽蔑して、昭和に日本は軍に滅ぼされた。昭和戦後に政治をばかにして、
平成に政治の貧困のために日本が滅びるのは天の報いだが、政治を軽んじても船が航行
し得た時代はバブル経済直前にすでに終焉していたことだけは、よくよく知っておく必要がある。」
そんな本だ。
私たちの社会はあきらかに煮つまっていることを、堂々としかも近代から現代に渡る東
洋の歴史を総局に把握しながら、相対的に語り継ぐ文章の数々は最近の政治を語る不毛
な言葉たちを補って余りあるものだと思う。
「それにしても世界とはつくづくいやなところである。あのハイテクのかたまりのよう
な旅客機がカッターナイフでハイジャックされ、それが七千人の死につながったとは、
虚を衝かれすぎて言葉もない。歴史とは結局進歩しないのである。」
ほんとに、その通りであると思う。
ウルトラマンの科特隊にいた女性隊員が書いたウルトラマン撮影時の思い出書きのよう
な本だ。思ったほど面白くないもので、楽しめたのは毒蝮三太夫らが出席した座談会の
模様ぐらいか。この毒蝮という人は芸能界でも不思議な存在ですね。
今日は家族で遠出する予定だったが、昨夜酔っパライであった私の不覚のために中止。
図書館に行き、ショッピングセンターに行くだけという、普通の一日で終わってしまった。反省。
YMOについて書かれたエッセイ集だが、どうも視点が定まらないところが仇になって、面白さがいまひとつ。
今日は教会に行った後、暑いのでショッピングセンターに避難。
お昼を食べ、買い物をして家に帰る。
なにもないふつうの日曜日のすごし方である。
夜は涼しくなり、ビールがおいしいのであった。
サブタイトルは「「本」と「物語」に関する記憶の「物語」」である。
本というものに対する哀愁と時代に忘れられた知識という特権的な意識に対する嘆き、あるいは父親と昔日の恋人に捧げられた物語といった文章が詰まった小さな本である。
私はこういったエッセイなのか私小説なのかよくわからない、著者本人の立像が思い浮かべられるような本がすごく好きだ。
「私は嘘つきだが誠実な人間だ」
この本はこうした言葉で締めくくられている。
私もそうありたいと、日々思う。
ここのところ、関川ばかり読んでいる。
とはいっても忙しくて、本を読む時間がほとんどない。
通勤でも座席についたら、すぐに寝てしまう。
本を読むのは乗車時間が短い地下鉄のなかぐらいだ。
このエッセイは著者の幼い頃の汽車の思い出や松本清張の時刻表推理小説の話やらが続く「操車場から響く音」といった昭和の話。
あるいは夏目漱石の大病を扱った「豪雨の前兆」といった明治の話。
「須賀敦子の、意志的なあの靴音」や「東京旅行」といった著者の交友関係の話。
また「大久保利通の「発見」」や「焼いた塩鮭の皮」といった歴史の遠景を手繰る話など。
どれも大人になりきれない中年が読むには興味深いものが多い。
今夜テレビで見ました。
なかなかよくできたノスタルジックでホームコメデイ満載のアニメでした。
ストーリーは現代的な子供への期待をこめたものだったけど、これを子供が喜んでみるのだろうか、と疑問に思うほどオトナ向けでした。
しかしストーリーは別として、のはら夫婦の原風景である、大阪万博とか田んぼのあぜ道だとか夕焼けの商店街といったものに飲み込まれていくオトナたちの感覚がちょっと違うのでは?と思ったけど。
映画の中でしんちゃんの父親は大阪万博では幼稚園児だったから、私は彼より少し年上になる。
でも私は連れていってもらえなかったエキスポも、ロックに合わない田んぼのあぜ道も、地縁とか共同体のシンボルである夕焼けの商店街とも無関係になりたかったのである。
そんな風物誌にノスタルジィを求めろと言われてもなあ、と見ていたのだけど。
まあ若い頃ビートルズが嫌いだった私には、レノンとヨーコの戯画化の方が面白かったかな。
最近、土曜日の午前中は病人なのである。
疲れがどっと押し寄せるように積み重なって、体が動かない。
体が動かないということは頭も動かない。
週休二日というのは明らかに中年以上の労働者のためにある。
そんな元気のない労働者が憧れるのはこの本にあるような焚き火をして、おいしいものを食べながら、ビールを飲むことである。
私はそんな楽しいことは一度もしたことがない。
だから他人の体験ほ読んで楽しむのである。
ここにある狸汁やらタケノコ焼きなどは一度は食べてみたいものだ。
しかし自分でもやってみたいとは思うが、思うだけで、実地を試すことはないだろう。
面倒なのである。