W. Somerset Maugham

サマセット・モーム

William Somerset Maugham (1874-1965)

   
モームは世界的にとてもポピュラーな小説家ですね。日本ではあまり知られてませんが劇作家 でもあります。「月と六ペンス」は教材として使われることが多いし、大作「人間の絆」に いたってはほとんど化石のような作品で、現在は名声先行型の読まれることが少ない作家の ひとりですね。

モームは1874年1月25日にパリで生まれています。 父は英国大使館の顧問弁護士でした。 モームはフランス語をネイティブとして覚えましたが、両親を失って10歳の時に英国の叔父 にひきとられ、ウィスタンブルという「人間の絆」の主人公が育った場所へ移ります。学校ではフランス訛の英語が不自由だっために、級友にいじめられ、悲惨な学校生活を強いられたことが、彼のコンプレックスを強くしたともいいます。また、一説ではゲイでもあったようです。

キングズ・スクール、カンタベリー、ハイデルベルグ大学で学んだ後、ロンドンで6年間医学 を勉強しています。 しかし23歳のとき医者としての体験を題材にした処女作「ラムベスのライザ」の発表が成功し、 以来創作に専念し、小説、戯曲、エッセイなど息の長い、なんといっても70歳近くまで創作 活動をおこなっています。

その間、モームはパリに住んだり、第一次世界大戦のあいだには英国の諜報部員として働いたり、 世界各地を旅行して数冊の旅行記を書いたりしています。

長編作家としてのモームは、彼の作家としての地位を決定付けた「人間の絆」は、 1915年に発表されている、多分に自伝的要素を含む代表作で、20世紀世界 文学の古典としても有名な小説です。 これと天才画家の生涯を描いた「月と六ペンス」の2つがよく知られています。 この他には円熟期の「菓子とビール」、「劇場」、そして晩年の「かみそりの刃」 などが翻訳もされていて、以前は日本でも人気が高い作家でした。

ストーリーテラーとして、あるいはシニカルなその人生観が生み出す短編集も昔は 新潮文庫から14冊も出ていたほどですが、いまは2冊ぐらいしか出ていません。 その中の「雨」や「赤毛」、「太平洋」といった、いわゆる南海ものは今読んでも 色褪せないほど完成度が高いものとなっています。

また、日本ではあまり知られていませんがモームは劇作家としても有名で、 1920年代には「ひとめぐり」THE CIRCLE (1921)や「お歴々」 OUR BETTERS (1923)、THE CONSTANT WIFE (1927) といった作品がヨーロッパやアメリカで 上演されています。


W. Somerset Maugham

ちくま文庫

 
アシェンデン

コスモポリタンズ 「これらの物語を面白いと感じてくれること以外には何ひとつ読者に 要求しない」モーム。舞台は、ヨーロッパ、アジアの両大陸から南島、横浜、 神戸まで。 故国を去って異郷に住む国際人の日常にひそむ事件の数々。 コスモポリタン誌に1924〜29年に連載された珠玉の小品30編。
カミソリの刃・上

カミソリの刃・下

アー・キン 腕達者な時期に書かれた”南海もの”の総決算で第一級の作品集。 
推理小説としても知られている「密林の足跡」、三角関係で近親相姦を扱った「聖書袋」をはじめ「機会の扉」「怒りの器」「この世の果て」「ニール・マックアダム」の六編を収録。

カジュアリーナ・トリー 東インド諸島、マレー半島にかけて生育する奇木。満月の夜、この木の陰に立つと、未来の秘密を囁く声が聞こえるという。その木の名はカジュアリーナ・トリー。 
南島未開の異常な環境のもとにおける、異常な事件と、異常な心理をあつかった六つの短編を収録。

魔術師 頃は1900年、場所はパリ。アーサーとマーガレットは婚約し、結婚を間近に控えていた。誰もがふたりを祝福し、喜んでいるように見えた。…「魔術師」を名乗る男、オリバー・ハドゥーが現れるまでは。
中国の屏風 中国旅行記ではあるが単なる旅行記ではない。そこに住む人間と彼らの生活に鋭い視線が向けられ、心の底にひそむ複雑な心理を探った短編58編を収める。皮肉屋モームの目に、万里の長城は、大河は、中国人の生活は、そこに暮らすヨーロッパ人はどう写ったか?新訳で紹介。
 


  2000.5.23更新

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