モームは1874年1月25日にパリで生まれています。 父は英国大使館の顧問弁護士でした。 モームはフランス語をネイティブとして覚えましたが、両親を失って10歳の時に英国の叔父 にひきとられ、ウィスタンブルという「人間の絆」の主人公が育った場所へ移ります。学校ではフランス訛の英語や足が不自由だっために、級友にいじめられ、悲惨な学校生活を強いられたことが、彼のコンプレックスを強くしたともいいます。また、一説ではゲイでもあったようです。
キングズ・スクール、カンタベリー、ハイデルベルグ大学で学んだ後、ロンドンで6年間医学 を勉強しています。 しかし23歳のとき医者としての体験を題材にした処女作「ラムベスのライザ」の発表が成功し、 以来創作に専念し、小説、戯曲、エッセイなど息の長い、なんといっても70歳近くまで創作 活動をおこなっています。
その間、モームはパリに住んだり、第一次世界大戦のあいだには英国の諜報部員として働いたり、 世界各地を旅行して数冊の旅行記を書いたりしています。
長編作家としてのモームは、彼の作家としての地位を決定付けた「人間の絆」は、 1915年に発表されている、多分に自伝的要素を含む代表作で、20世紀世界 文学の古典としても有名な小説です。 これと天才画家の生涯を描いた「月と六ペンス」の2つがよく知られています。 この他には円熟期の「菓子とビール」、「劇場」、そして晩年の「かみそりの刃」 などが翻訳もされていて、以前は日本でも人気が高い作家でした。
ストーリーテラーとして、あるいはシニカルなその人生観が生み出す短編集も昔は 新潮文庫から14冊も出ていたほどですが、いまは2冊ぐらいしか出ていません。 その中の「雨」や「赤毛」、「太平洋」といった、いわゆる南海ものは今読んでも 色褪せないほど完成度が高いものとなっています。
また、日本ではあまり知られていませんがモームは劇作家としても有名で、 1920年代には「ひとめぐり」THE
CIRCLE (1921)や「お歴々」 OUR BETTERS (1923)、THE CONSTANT WIFE (1927) といった作品がヨーロッパやアメリカで
上演されています。
W. Somerset Maugham
ちくま文庫