『剃刀の刃』サマセット・モーム

訳:斎藤三夫  新潮文庫


【感想】

モーム晩年の長編小説です。
彼には珍しく人生とはなんぞや、という問いに答えようとするかのような人生観の総決算みたいな小説です。
従ってストーリーテラーのモームというイメージとはちょっと違い、ストーリー 構成は雑誌連載によくある小説ようにその場その場でつぎはぎな展開となっています。

登場人物はモーム自身が語り手となっていて、彼が社交界と呼ばれる場所で知り 会ったエリオットというシカゴ出身の俗物で愛らしい初老の企業家とその一族の イザベルという美しい娘とが織りなすさまざまな出来事が、いかにもモームのシ ニカルな視点で語られていきます。

その中でも若い頃にイザベルの恋人であったラリーという青年とモームとの対話 は、扉の引用文にあるウパニシャッドが象徴しているように全編に渡って西洋と インド哲学との生に関する比較哲学的なものとなっており、モームがいかに老年 時に哲学的な思索を続けていたかがよくわかる本となっています。

そのインド哲学を語らせるラリーという人物はとても魅力的なキャラクターで、 イザベルとの婚約が破綻した後、世界を巡り回ってヒッピーみたいな生活をしな がら最後にはインドの山奥でヨガの修業をしてパリに帰ってくるという、ふた時 代むかしのヒーローのような設定なんですね。

そのヒーロー像も笠井潔の「バイバイ・エンジェル」の主人公のようにとっても クールで、その知的遍歴も心理学から神秘学まで自分のために極めようとする姿 勢が真にせまっていて読ませてくれます。
オデッセイやスピノザの面白さを語る くだりなどはこちらも読んでみたいと思わせるものがあります。
至極はモームの知識量の膨大さになるのですが、このラリーという不思議な青年とモームの対話 はグノーシス主義への傾向が顕著になっているみたいです。
やはりそれは世界に対するモーム独特の斜視から来るものなんでしょうか。

まあしかしそういった難しい話ばかりで占められている内容ではなくて、話のほ とんどはよくわからぬくだらない上流社交界で起きる出来事や、イザベルの本当 に女性らしい嫉妬がもたらす下世話な痴話など、楽しめる細部はけっこうありま す。ほんと底意地の悪い人間は浅ましい(笑)。
まったく、いつの世も自分の下品さを隠すために尊大にふるまったり、偉ぶった りして、他人を傷つけることに無自覚な人間が多すぎるんですよね。

この物語の中でもそうした人間の生の不毛さについては、モームも自己中心的な 西洋の人間関係性については東洋の精神性の高さなんかを謳ったりしています。
まあ、彼特有の感覚から、そうした他人を貶めたり、裏切ったり、裏切られたり することを楽しんでいるふうな余裕も伺えるのですが、それはそれだけ冷たく人 間関係をつきはなして見ている分、書かれていない行間から救われない恐ろしさ のようなものを感じることができます。
このあたりがモームの真骨頂ですねえ。

こうした過去の時代の小説を読んでいると、いかにも現在というのはおおげさな ことが多いという気がしてきます。
うまく言えませんが、亭主がありながら執拗 に過去の恋人の行く末を追うイザベルの押し殺したような情念のばかばかしさに 比べると、現在はみんな賢くなりすぎて今の不倫なんてのは軽薄過ぎて、何も残 らないような空しさに満ちているような気がしてしまうんですね(^^;。
いや〜なんか歳のせいなのか、「いい仕事してますねえ」みたいな小説がもっと 読みたいんだよな〜。


★羊男★1998.11.23★

物語千夜一夜【第九十九夜】

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