『オウエンのために祈りを』ジョン・アーヴィング
中野圭二訳 新潮社

【紹介】

上巻「神さまはきみのお母さんを奪った。ぼくの手が道具となった。ぼくは神さまの道具 なんだ!」
5歳児ほどの小さな身体、異星人みたいなへんてこな声。ぼくの親友オウエンは、神 が遣わされた天使だった!?宿命のファウルボールによる母の死。前足を欠いたア ルマジロの剥製。赤いドレスを着せられた仕立用人台。名人の域に達した二人組み スラムダンク。あらゆるできごとは偶然なのか?それとも「予兆」なのか?

下巻「恐れるな!きみには悪いことは起こりっこない」
名門プレップ・スクールの学校新聞編集長として活躍するオウエンと、なにかと 彼に頼りっきりのさえないぼく。ヴェトナム戦争が泥沼の様相を呈しはじめるころ、 オウエンは小さな陸軍少尉として任務につく。そしてぼくは、またもや彼のはから いによって徴兵を免れることになる。椰子の木。修道女。アジアの子供たち。 オウエンがみる謎の夢は、ふたりをどこへ導くのか?

【感想】

上下巻で千頁ほどのこの長編を読んでいる間、づっと持続していたのは、その異質 な手触り肌触りでした。
アメリカという異文化を感じる度合というのは現在、とても低くなっていると思う のだけど、ここに出てくる彼らの日常的な背景、教会を中心とした世界のあり方や 考え方というものに、私たちと改めて生きている世界が違うのだと感じました。
もちろんそれは私が特別な信仰を持っていないせいであり、日本でも教会に通い、 聖書に精通していれば、また違う思いで読めるわけですが。
その場合、行間にある背景の深い意味がわかるわけだから、信仰というものに 対してとても思索的な感動を得られる物語だと思います。
そしてキリスト教という信仰を持たないものにとっても、その現代的なテーマであ る「偶然と必然」をめぐって進んで行くジグソーパズルのようなストーリー展開に は、ひきつけられるものは大きいと思います。

上巻はそうした精神的な背景やニューハンプシャー州グレイヴズエンドの風土を 折り混ぜながら、オウエンとジョンのふたりの少年時代を描いています。

下巻はかつてのフラワーチルドレンの時代、ベトナム戦争の時代、そうした時代に 違和感を抱いていた人々の声をオウエンとジョンを通して知ることができます。
こうした文化は日本にはバラ色のものとしてしか輸入されなかったので、この物語 に描かれているような政治への諦念や、ベトナム戦争に徴兵されることを逃れる ためには負わなければならないものが非常に大きいといったことが痛切に綴られて いて、やはりこうしたことはその時代に生きた当事者でないとわからない思いと いうものがたくさんあるのだなと思いました。

そして物語中ずっと疑問だった、野球のバットの「不運なひと振り」によっ て、この物語の主人公であるオウエンが親友であるジョンの母親を死にいたらしめ たにも関わらず、彼らはづっと親友であり続けたことや、オウエンの不可解でもあ りつつ、慈しみに満ちた言動というものが、実は最後の最後で全ての謎や行いが ジグソーパズルのたくさんのパーツのようにそれぞれの断片があるべき場所、ある べき姿に納まっていくのは、大きなカタルシスをもたらしてくれます。
読後は久しぶりに感情的でない、泣きの小説を読んだという嬉しさで満たされました。


★羊男★2000.4.15★

物語千夜一夜【第九十六夜】

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