『ヤポニカ・タペストリー』久間十義
河出文庫

【感想】

太平洋戦争が始まる時代をひとりの霊能力者を主人公にして描いた、少しばか り文芸的だが、ほとんどはコミック的な展開で進んでいく、少しばかりSFチ ックな小説である。

このひとりの霊能力者の生い立ちから、工業社会の中で自分の場所をつくって いく少年時代、あるいは新興宗教の活動と神秘的な青春期、また幸福な家庭を 築けたかと思っていたところに介入してくる日本の軍部、そして不幸な歴史に 加担していくことになる壮年時代と、めくるめく時代の流れとともに、ひとり の人間の喜怒哀楽が語られていくのが、この作品の大筋だ。

コミック的な早いテンポで進めるための小道具は、この時代に跋扈していた有 名人たちだ。
石原莞爾、出口王仁三郎など、満州で暗躍した巨魁がつぎつぎと登場し、いわ ゆる裏面的な昭和史が語られていく。

そうした歴史絵巻の中で起こったかも知れない虚構を楽しむ、という意味では とてもよくできた小説だろう。
ただ神秘主義的な深みを求める向きにはお勧めではない。
とても表面的な構成だし、あまり感情移入できるような人物描写ではないから だ。

ある意味、そこが現代文学的なのであるし、この本の価値なのだと思う。
その線から言うと、もう新興宗教やら超能力やらといったいかがわしいものに は閉口する向きにはお勧めだろうと思う。
著者の興味はこうした現象の正否にはなく、歴史の中で起こりうる虚構の可能 性といったものに、描写の質が割かれているからだ。

このどことなく突き放した感覚というは、ある意味バランスが取れているので、 人間の歴史というものを少しばかり離れた視点から眺めること、あるいは考え ることができるのが、この本を読むことのメリットだと思う。

満州だとか2・26事件というものは、今からすれば非常に遠い歴史の中の出 来事に思えるけれど、この小説を読むとつい最近起きた事件のように感じられ るほどに、私たちとの連続性を考えさせてくれる。

そしてこの物語には出てこないが、当然の如く連想されるオウム真理教の事件 も連続した日本の歴史の中で生まれてしまった可能性のひとつであったことが 連想されてくるのだ。

歴史というものを時系列な思考から解き放とうとした、まさにコミック的な歴 史小説であると思う。


★羊男★2003.7.23★

物語千夜一夜【第九十ニ夜】

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