『マルコヴァルドさんの四季』イタロ・カルヴィ一ノ

訳者:安藤美紀夫 岩波書店 岩波少年文庫


【感想】

『マルコ・ポーロの見えない都市』というこの本は1972年に現代イタリア文学 の旗手と呼ばれたイタロ・カルヴィーノが発表した、極めて思索的な幻想小説です。 ストーリーは、マルコポーロが東方への旅の途中に立ち寄ったという数々の都市の 様子をモンゴル帝国の皇帝フビライ汗に話して聞かせる、といったアラビアンナイ トのような物語の中の物語です。
このメタ・フィクションが構築する世界は、まるで立ちのぼる砂漠の蜃気楼を見て いるかのような魔術的な魅力を持っています。
また、カルヴィーノには『砂のコレクション』という、とある博物館の世界のあち こちで拾ってきた砂をガラスの瓶に入れて展示した珍しいコレクションについて語 っているエッセー集があり、まさに無限の砂のような世界の複雑性や魅力を語りつ づけた作家といえます。

確かにカルヴィーノはとても現代的なメタ作家ですが、同時に司馬遷のような長大 な視野もあり、歴史の移ろいを眺めてきた老人の呟きを読んでいるような感じがす るときもあります。
人類の歴史は既に終わってしまったものであり、今やその「思い出」しか残ってい ないといった、まるでデューラーのメランコリアのような世界でもあるのです。

あるいはそんなイタロ・カルヴィーノの『マルコヴァルドさんの四季』という本に は、存在したかも知れない「もう一つの時間」、あるいは「もう一つの世界」に生 きることを考える、三人の子供の父でもあるマルコヴァルドさんに架して、こんな ことを書いていたりします。

「マルコヴァルドさんは歩いて仕事にいきました。雪で電車がとまってしまったの です。道路に、じぶんの歩く道をきりひらいていきながら、マルコヴァルドさんは、 いままでに感じたことのない自由を感じました。大通りでは、どこも、歩道の区別 はいっさいなくなり、どんな車もとおれませんでした。」

  ある朝、町に大雪が降り、マルコヴァルドさんは会社の前の歩道の雪かきを命じら れるのです。そのとき彼は、大雪がもたらした世界の変貌に感動するのです。

「この雪のマントの下にかくされている町は、いったい、ほんとうにまえのままの 町なんだろうか。それとも、夜のうちに、べつの町にかわってしまったのではない だろうか。
いったい、この白いマントの下には、まだ、ほんとうに、ガソリン・スタンドの給 油装置や、町かどの新聞売場や、電車の停留場があるんだろうか。ひょっとしたら、 掘っても掘っても雪ばかりなのかもしれないな。
マルコヴァルドさんは、歩きながら、ゆめでもみているような気持で、ほかの町へ 迷いこんだのかもしれんぞと思いました。」

こうした思いは、あるいはその幻想性は世の中に確実なものや永遠のものなど存在 せず、すべては精神の奥底にまどろんでいくだけだという印象を残していきます。 それはなんというか、廃坑の穴の中に眠っている宝箱のように鈍い輝きを持ってい るものなのです。

おそらく今から十年以上も昔のことになりますが、廃坑となった足尾銅山に迷い込 んだことがあります。
なぜさんな場所に行ったのかは覚えていないのですが、確か日光あたりに遊びに行 った帰りに寄ったのだと思います。
細く曲がりくねった道にそった川を渡った向こう側に、「立ち入り禁止」と書かれ ている汚れた看板があったのを覚えています。
そこには鉄の赤茶けた鉄門があり、その奥には機関庫のような建物がありました。 よく見るとその隣りには線路がありました。
おそらくそれはかつて銅くずを運んだ軌跡か、廃線となった足尾線のものだったの でしょう。
その「立ち入り禁止」を越えて道を登っていくと、もの寂しい廃屋が立ち並んでい ます。それはまるでつげ義春の漫画の世界なのです。
そしてその先には古い大きな木造の建物があり、そこは風呂屋の跡のようでした。
薄暗い建物の奥にはゴミ捨て場のような四角い構造物があり、ぼろぼろの木桶や床 を洗ったのであろうモップ、そしてなぜだか一升瓶といった物がころがっていたの を覚えています。

その後、この鉱山を舞台にした夏目漱石の『坑夫』という小説を読んだことがあり ます。これは、「相当の地位を有つたものゝ子」である一人の青年が、ある過去の 事情のために実家から逃げだし、ポン引きにつかまって鉱山に送り込まれることに なってしまう物語です。

たまたま足尾で見た廃線跡や蒼黒い廃屋は、なんだか人間の歴史の暗い穴を象徴し ているのではないかと、この本を読んだときに思ったものです。
この『坑夫』の主人公の青年は一本の探照灯を頼りに暗い坑道をつたって、地底の 奥深くへと降りていきます。
坑道は迷路のようであり、また胎道をめぐるようでもあるのです。
あるいは腰までつかる水の中を歩いていくはめとなります。
そこで彼は不気味な地下生活者のような坑夫たちと出会うことになります。
そして最後には全くの一人となり真っ暗な闇の中で途方に暮れてしまう、まったく 近代小説の典型のような小説なのです。

イタロ・カルヴィーノはこうした近代小説の不粋さから抜けだして、廃坑を宝物が いっぱいにつまった世界に変えてしまいます。
しかし、メランコリアなその視線、例えばイタリア的な石畳の坂道やまばゆい地中 海といった光景、あるいはパルチザンの記憶といったカルヴィーノの心の中にいつ もある遠い過去の風景は、あの古くさい夏目漱石の小説たちと実はよく似ているも のだったりするのではないかと、カルヴィーノの小説を読むたびに思うのです。


★羊男★2001.10.21★

物語千夜一夜【第八十一夜】

home