『郷愁』ヘルマン・ヘッセ

高橋健二訳  新潮文庫


【感想】

ヘルマン・ヘッセというドイツ生まれの作家の処女作がこの「郷愁」です。
原題にある「ペーター・カーメンチント」という、アルプスの小さな村に生まれ た少年が都会へ出て青春時代を過ごし、恋愛をしたり、放浪に出たりして、作 家となり、最後は生まれ故郷に戻っていくという、著者本人を模した自伝的な 作品です。

しかし、この郷愁という邦題はいかがなものか、とも思います。
もともとはペーターという少年が様々な出来事を経て、大人になっていくとい う、いわゆる「成長物語」です。
原題のままの方がへんな意味がくっついてこなくていいと思うし、中身はそれ ほどノスタルジックなものではなく、様々なかたちの苦悩が描かれている作品 です。

しかしこのペーター少年、実に小さなことでくよくよしたり、悩んだりしてい ます。
特に若い頃のエピソードには自分が他人からどう見れられているかという、誰 にでもありそうな話題で埋め尽くされています。
あるいは酒場でどーしたこーしたとか、喧嘩したとかしないとか。
そこのお姉さんがどうなんだ、そうなのかとか。
まあそんなこんなを読んでいて面白いのですが、これっていわゆる日本文学特 有の「私小説」とかいうものと同じなんじゃないだろうか。
という疑問が湧いてきたりします。

ヘッセはけっこう好きでよく読んでいた頃があるのですが、記憶としても著者 本人を主人公に模した小説が多かったような気がします。
ヘルダーリンやシラーなど、なんとなくドイツの作家というのは日本文学の主 題と同じような傾向があるような気もしています。
やはり民族的に似ているのでしょうか。

けれど日本の私小説と事を分けているところも、もちろんあります。
例えばそれは身障者であるボピーを通して語られていくキリスト教の博愛であ り、小さい者や弱者に対する嘘のない意識なんだと思います。
それらは現代にあふれているような表面的な愛の言葉ではなく、もともと人間 はひとりひとり違うものなのだという、思考の出発点を障害者への同情とか愛 情といったある意味で差別的な場所からではなく、彼等も自分と同じ人間なの だから、人々はそれぞれみんないい面と悪い面を持っていて当たり前なのだと いう、根底的なところから思考しているのが胸を打つのだと思います。

主人公ペーター・カーメンチントのその出発点は、アシジの聖フランシスへの 信仰心であり、小鳥や石に語りかけたという、万物への愛を説いた聖者の考え や行いというのは、神道のアニミズムと通ずるところもあり、日本にヘルマン ・ヘッセのファンが多いのは、ヘッセの小説に登場する人々の考え方が身近な ものに思えるからだと思います。

私がヘッセを読んだのは、二十代になってからなので遅い読者だと思います。
たいがいは中学生か高校生あたりで読むのではないでしょうか。
そのときはこの「郷愁」「車輪の下」「春の嵐」「デミアン」がセットになっ た重たい文学全集で読みました。
ヘッセはこうした青春文学から大きな転回をして、その後「シッダールタ」 「東方巡礼」「ガラス玉演戯」といった仏教的な思考小説を書いています。
なんだかめんどくさそうな小説だったので、それ以来読んでいませんでした。
しかし私も年をとったことですし、このあたりはいずれ読みたいと思っている のですが、なんとなくヘッセは手塚治虫に似たような人だったのかなあと、短 絡的に思ったりもします。

ヘッセは南ドイツのシュヴァーベン地方というところで生まれていて、シラー やハウフ、メーリケ、さらにはヘルダーリンの故郷でもあります。
なんだかドイツ詩人の名産地みたいなところですね。
私はヘッセを読む前にはこうした詩人たちを愛するドイツのロックバンドのポ ポル・ヴー、ヘルダーリンやノヴァーリスという、そのまんまのネーミングの バンドをよく聴いていたので、古めのドイツ作家の本を読むとこうしたバンド のメランコリックな音楽が頭に過ぎります。
若かりし頃に戻りたい、というような気分のときにはドイツのロックとヘッセ が一番ではないかと思う、今日この頃です。


★羊男★2002.11.17★

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