今回読み返してみて思ったのは、非常に個人的な物語が多いということです。最近少し古めのアメリカ作家の小説を読むことが多いのですが、彼らは非常に時代的というか当時の世界観を含めて多くを客観的な言葉で語ろうとします。しかしポーは推理小説もSFも個人的な意識の中に閉じた言葉で語りかけてくるのですね。ストーリーであるよりは非常にフィクション的要素が強い小説で、これが近代文学と位置づけられている所以なんでしょう。
しかしこの「黒猫」や「アッシャー家の崩壊」の物語の暗さはなんか救いがないですね。というか、よくわからないです。夏目漱石なんかの小説を読んでいてもたまに思うのですが、なぜ物語の主人公なんかがこうした陰惨な思考になっていくのか、迷妄な行動に突き進んでいくのか、その因果関係を描いていないので、よくわからないんですね。
現代だと仕事でストレスが溜って犯罪を犯したりすることをきちんと説明したりしますが、そういった衝動をほとんど説明しないで、物語だけが進行していく。なんか鮒落ちなかったりします。ポーはまだある程度、読者がいると思うけど、やはり時代背景とかをじっくり読み込まないと本当の面白さのようなものが見えてこない、過去の作家という感じが今回読んでしました。
ただ「黄金虫」は面白かったですね。こういう古典的な推理小説はなんか非常に明るいところがあります。黄金がきちんと見つかるからかも知れませんが、現代の推理小説の人間関係の心情的なもつれを読み込ませる、みたいな部分がなくて、その分、非常にロマンを感じさせてくれます。
今回この文庫の解説を読んで知ったのですが、ポーという人はとても悲惨な人生を送ったのですね。破滅型の文学者のイメージの一翼を担っていたんでしょうね。ちょっと近づきたくない世界ですね、いまのところ。
ポーはあんまり読んでいないのですが、今回この小説を読んで、やはり詩の方がいいなと思ったりもしました。
物語千夜一夜【第六十五夜】