『妻の帝国』佐藤哲也
早川書房
《ハヤカワSFシリーズ Jコレクション》
【内容】

高校生、無道大義はある日「最高指導者」からの手紙を受け取る。
それを読んだとたん、彼は民衆国家建設に目ざめ、民衆細胞として自分のなす べきことを悟る。「わたし」の妻は「最高指導者」である。あらゆるイデオロ ギーを否定し、直観による民衆独裁のみを肯定する民衆国家の構築をもくろみ、 毎日大量の手紙を民衆細胞に宛てて投函していた。
悪夢的な不条理世界で、奇想天外な政治劇が、残酷で饒舌な超絶技巧描写に乗 って展開する。
《ハヤカワSFシリーズ Jコレクション》紹介文より

【感想】

不気味な小説である。
この不気味さというのをジャンルで言うと、カフカに代表される不条理文学と いうものに入ると思う。
ただそれがよくユダヤ的であると言われるのと同様に、これはまったく日本的 な不条理さで満ちあふれている。
そうした連想では筒井康隆などの短編が思い上がってくると思うが、そうした 批判性はここにはない。
あくまでも文学的であり、現実とふすま一枚隔てた不条理劇なのである。

早川書房のSF新シリーズから出版された、この小説はSFのジャンルならば ニューウェイブに入るものと思う。
かつてSFを書いていた競馬評論家の山野浩一(浩の字が違ってるかも)の 60年代の革命をテーマとした小説とよく似た雰囲気を持っている。

この小説は、民衆感覚による民衆独裁の理念を掲げた革命組織の誕生からその 崩壊までを描いている。
そして主人公はこの革命組織のリーダーである女性の夫なのである。
だから「妻の帝国」なのだ。
さらに不条理なのが、この革命組織を扇動していくのに用いる手段が「郵便」 なのだ。支配者からの命令はすべて郵便によって為政されていく。
ますますもって不可解な展開が積み重なっていき、独自の世界観が構築されて いく。
それは非常な閉鎖性に満ちた世界でありながら、その閉ざされた日常を克明に 描くことにより、不気味なリアリティを獲得している。
それは戦争下の抑圧された生活のようでもあり、疑心暗鬼に明け暮れる人間関 係でもある。

このままいまの現実の世界がアメリカ帝国による支配が広がってくならば、い つかはこうした不気味な統制社会の中で生きていかなければならないのではな いか、といったシリアスな狂気がひたひたと押し寄せてくる、異様なリアリテ ィを味わうことができる。
昨年の傑作のひとつであるだろう。

こうしたドラマを読んでいると「宇宙戦艦ヤマト問題」が頭をもたげてくる。
この閉鎖的な空間が占めるようになった日本の住宅街の光景には、外国人はお ろか海外からのマスコミとか軍隊などが何故か登場してこないのだ。
日本政府が転覆して新しい民衆独裁国家が樹立されたのにも関わらず、諸外国 が沈黙している様はおかしく思えてくる。
しかしいつまでたっても彼らは登場しない。
この閉鎖性はどこか伝統的な私小説すら思わせる。

でも実際の戒厳令下の生活とはこんなものなのかも知れない、とも思う。
いまも爆撃が続くイラクに住む人々が手に入れられる戦争の状況、国内外の情 報はどれだけのものなのだろうか。
私たちはテレビの前に座って、戦争に関する様々な情報を手にした上で、あれ これ考える。
しかし現実に戦争に巻き込まれている人々は自分たちが生き延びることだけで 精一杯なはずだ。
この小説はそうした暗澹たる生活を肌に感じられるほどの想像力で描いている。

あとがきで著者はこの小説を書く前に、ソルジェニーツインの「収容所群島」 を再読した、と書いている。
この空気だったのか、というは読後によくわかる。
ソビエト健在時の収容所の実態を描いたそれは悪夢以外のなにものでもない。
事実をもとに書かれている悪夢は、カフカなどの存在論的な恐怖よりもさらに 不気味な人間の精神の暗澹たる泥濘を差し出している。
そのような悪夢を読むのは苦痛ではあるが、これからの日本を想像するのに必 要なものであるとも言える。
いまだ社会主義的な制度や雰囲気が残っている日本にあってはこの悪夢は絵空 事ではない。

戦争や圧政という前時代的なものは、21世紀になれば無くなるものと考えて いた、安直で素朴で無知で人の良い私たちの思考は負けたのだ。
しかも民主主義というその思考の枠を教え込んだ張本人から、賞味期限切れを 通知されているのだ。
そうした平和な世の中というものが期間限定であるということを実感させてく れる、後味の悪い本なのである。



★羊男★2003.3.30★

物語千夜一夜【第六十二夜】

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