『風媒結婚』牧野信一
日本幻想文学集成 15
「風媒結婚」牧野信一集  種村 季弘編
出版:国書刊行会
収録短編:
「繰舟で往く家」「風媒結婚」「夜の奇蹟」「痴酔記」「吊篭と月光と」 「淡雪」「月あかり」「鬼涙村」「風流旅行」「バラルダ物語」

【感想】

いま読んでもかなり変な作家だと思う。
一部では隠れた人気がいまでもあると思われる大正期から昭和期の作家である。
この種村季弘の解説がついた本は、シリーズ名のように幻想的な短編が集めら れている。
既に岩波文庫などに収められているものもあるが、たぶん一般的には珍しい作 品も多いと思う。
それらの作品は多分におどろしいもので、教科書的な苦悩の文学作品ではなく て、「新青年」に載っているのが当たり前のような物語だったりする。
それもひとつに「変な」作家だということになるのだけれど、もっと変なのは やはり文体ということになるのだと思う。
牧野信一の小説は読んだことがある人ならわかると思うけれど、関節外し的な ぎこちない文章が続いたりする。
でも文章が下手なのではもちろんない。華麗な日本語で書かれている短編もこ の本には収められている。
たぶんそれは言葉の独特な使いまわしにあるのだろうと思う。
たとえば、「風流旅行」という短編にはこんな文章が綴られいる。


あれをおもひ、これをおもひすると、私は吾から慰めては単なるゼ・センチメ ンタルと自任したがるのであつたが、決してそんな風流なものでも、インキヂ ティヴな旅行者でもなく、どうやら口にするさへ空怖ろしげな響きをもつたと ころの、ぜ・でりんけんと、えんと、ふえろうにあうすに相違ない懈怠ニシテ 然モ凶悪ナル旅行者の烙印をおさなければならなかつたのだ。


すべてがこんな感じの短編もあれば、流暢な表現だけの短編もある。
単に奇をてらっているわけではなく、人形に恋をした男の顛末を描いたものや 望遠鏡越しに接触不能の女体を覗く男の話などストーリー的によくできた短編 もある。
そういう意味では分裂症ぎみの、簡単には正体が伺い知れない、「変な」作家 なのである。

それにしても解説の「ピュグマリオンふたたび」は、牧野信一の幻想性の本質 をついた文章で、さすが種村季弘さんは凄いなあと思わせてくれる。
この幻想文学としてのセレクションの位置づけがとてもよくわかるように書か れているし、これらの作品が書かれた時代状況を手を取るように解説してくれ てもいる。

人間の妄想というものは、人それぞれの欲望に従って散り散りで捉えどころの ないもののように私などは思っているけれど、ある時代の情報をかき集め、そ れらの痕跡を丁寧になぞりながら、それらの情報を作っていた背景は何だった のかという、全的な労力のもとに現れてくる時代精神を解き明かし、くもりの ない説得力でもって読者を驚かせてくれるのだ。
いまだ種村季弘という大御所が健在で、私のような雑多な本読みにも刺激を与 えてくる存在はほんとうに貴重なものである。

私がはじめて牧野信一を読んだのは、中央公論社の全集もので、稲垣足穂と内 田百門のカップリングが古本屋で300円だった。
この取り合わせは今でも良かったなあ、と思う。
もともとは稲垣足穂が目的だったのだけれど、あとのふたりも足穂に劣らず面 白かった。
こういった作風が日本文学にあるなんて思いもよらなかったのだ。

まあ大正時代の文学自体、すこしばかり教科書的な日本文学の文脈とは違う雰 囲気なので、当たり前と言えばそれまでなのだが。
ただ敢えて言えば、先にあげた「新青年」の作家たちとはどこか暗さが違うの だと思う。
夢野久作にしても江戸川乱歩にしても、その暗さはとても社会的なものに思え る。
けれど牧野信一はやはり文学的な暗さであり、その深さはやはり他人には理解 できないような個人的なものだといった孤高の雰囲気がある。
そうした観点ではやはり牧野信一の小説は文学作品なのだろうと思う。


★羊男★2003.3.2★

物語千夜一夜【第五十一夜】

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