なんらかの理由、ヤクに溺れたとか交通事故にあったとか商業主義がアー チストをダメにしたとためにレコードを作ることができなかった伝説のア ルバムと呼ばれているものを召還してしまうわけなんですね。
その源泉が魔術なのか超能力なのかといったことはこの小説世界ではどう でもいいことで、もうひとつのプロットとして流れている父と子の葛藤が その力を呼び起こしているんですね。ここが単なるアイディア小説として 終わらず有名な賞まで取っている所以なんですが、このあたりの精神的な 光景がなかなか陳腐なんだけど、けっこうじんとくるんですね。
まあアメリカ人なら泣けるとこなんでしょうけど、やはりちょっと風土が 違う日本人の父親にはいまいちぴんとこないところがあるものの、こうし て正面きってモチーフを扱っているものって、最近の日本小説ではあまり ないんじゃないかな、と思う。父性ってかっこわるいというか苦手な領域 になってしまいましたからね。
似たようなモチーフとして、ティム・オブライエンの「ニュー・クリア・ エイジ」とか『心臓を貫かれて』マイケル・ギルモアが近いかな、という 感じです。最近の米のビジネス本なんか読むとこれからの経営には女性的 な繊細さがますます重要になってくる、なんて書いてありますけど、やは りこういった小説を読むとまだまだアメリカはマッチョな国なんだなと思 わされますね。
さて、ロック史を改変するアルバムはドアーズから始まって、実際のビーチ ・ボーイズのブライアン・ウィルソンやジミ・ヘンドリックスを小説の登場 人物として、過去を遡って活躍させてるんだけど、作者にとっても思い入れ があるミュージシャンを選んだと思われるため、微に入り細に入り性格や特 徴なんかをとてもうまく表現していて、すごく興奮させられます。
まあここに登場する60年代の英雄に興味がなかったり、時代にぜんぜん リンクしない若者にはおもしろくもなんともない小説かもしれないけど、 私なんか大昔読んだハインラインの「異星の客」なんかを思い出すぐらい 60年代チックな風俗小説でもあります。
でもこのアイディアってあとを引きそうで、例えば70年代のプログレッシ
ッブ・ロックの伝説のセッション・アルバムとか日本だったら坂本龍一と 阿部薫の幻の競作とかいろいろネタは出てきそうですね。
このアイディアだけでひとつのジャンルができそうな感じ。
いやまあとにかくいろんな意味で妄想が満喫できた小説でございました。
それから日本版は訳者の思い入れたっぷりの訳注と訳詞がついていて、特に
ドアーズのファンにはたまらないかも知れません。
物語千夜一夜【第四十五夜】