『グリンプス』ルイス・シャイナー
訳者:小川 隆
発行:創元SF文庫
【あらすじ】
ステレオ修理屋のレイは、父親を事故で亡くしたのち、自らの不思議な能力 に気がついた。60年代のロック・ミュージックに思いを巡らす。すると、 当時未完に終わったはずのあの名曲が、スピーカーから流れ出た! ドアーズ、ビーチ・ボーイズ、ジミ・ヘンドリックスの未発表音源を求めて 過去へのトリップが始まる。ロック史が一変する無類のSFファンタジイ! 世界幻想文学大賞受賞。(背表紙より)


【感想】
すごくおもしろいです。とにかくこのアイディアが抜群ですね。いわゆる タイムマシンもの、歴史改変ものなんだけど、60年代にあったフラワー チルドレンの標語「ロックが世界を変える」を文字通りSFにしたという 感じの小説です。

なんらかの理由、ヤクに溺れたとか交通事故にあったとか商業主義がアー チストをダメにしたとためにレコードを作ることができなかった伝説のア ルバムと呼ばれているものを召還してしまうわけなんですね。

その源泉が魔術なのか超能力なのかといったことはこの小説世界ではどう でもいいことで、もうひとつのプロットとして流れている父と子の葛藤が その力を呼び起こしているんですね。ここが単なるアイディア小説として 終わらず有名な賞まで取っている所以なんですが、このあたりの精神的な 光景がなかなか陳腐なんだけど、けっこうじんとくるんですね。

まあアメリカ人なら泣けるとこなんでしょうけど、やはりちょっと風土が 違う日本人の父親にはいまいちぴんとこないところがあるものの、こうし て正面きってモチーフを扱っているものって、最近の日本小説ではあまり ないんじゃないかな、と思う。父性ってかっこわるいというか苦手な領域 になってしまいましたからね。

似たようなモチーフとして、ティム・オブライエンの「ニュー・クリア・ エイジ」とか『心臓を貫かれて』マイケル・ギルモアが近いかな、という 感じです。最近の米のビジネス本なんか読むとこれからの経営には女性的 な繊細さがますます重要になってくる、なんて書いてありますけど、やは りこういった小説を読むとまだまだアメリカはマッチョな国なんだなと思 わされますね。

さて、ロック史を改変するアルバムはドアーズから始まって、実際のビーチ ・ボーイズのブライアン・ウィルソンやジミ・ヘンドリックスを小説の登場 人物として、過去を遡って活躍させてるんだけど、作者にとっても思い入れ があるミュージシャンを選んだと思われるため、微に入り細に入り性格や特 徴なんかをとてもうまく表現していて、すごく興奮させられます。

まあここに登場する60年代の英雄に興味がなかったり、時代にぜんぜん リンクしない若者にはおもしろくもなんともない小説かもしれないけど、 私なんか大昔読んだハインラインの「異星の客」なんかを思い出すぐらい 60年代チックな風俗小説でもあります。

でもこのアイディアってあとを引きそうで、例えば70年代のプログレッシ ッブ・ロックの伝説のセッション・アルバムとか日本だったら坂本龍一と 阿部薫の幻の競作とかいろいろネタは出てきそうですね。
このアイディアだけでひとつのジャンルができそうな感じ。

いやまあとにかくいろんな意味で妄想が満喫できた小説でございました。
それから日本版は訳者の思い入れたっぷりの訳注と訳詞がついていて、特に ドアーズのファンにはたまらないかも知れません。


★羊男★1998.8.16★

物語千夜一夜【第四十五夜】

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