『クリプトノミコン』ニール・スティーヴンスン

中原尚哉 訳 ハヤカワ文庫


【紹介】
Vol.1 「チューリング」解説 小川隆
Vol.2 「エニグマ」解説 今井秀樹
Vol.3 「アレトゥサ」解説 岡部いさく
Vol.4 「データヘヴン」解説 ブルース・シュナイアー 服部桂

"Cryptonomicon" (1999) Neal Stephenson

第二次大戦前夜、プリンストン大学に学ぶ青年ローレンスは、数学への興味を同じくする英国人留学生チューリングと出会う。やがて彼らは、戦争の帰趨を左右する暗号戦の最前線で戦うことに…それから半世紀、ローレンスの孫ランディもネット技術者として暗号に関わっていた。彼は大戦との因縁深いある策謀に巻きこまれていくが!?暗号をめぐり、二つの時代―第二次大戦中と現代で展開される情報戦を描く冒険SF大作。ローカス賞受賞。

【感想】

今年度、SF界最大の話題作である。
全4巻2000ページの戦争と暗号の物語。
物語というより、エンターテーメントだ。
ニューズウィークでは「ハッカー・ヘミングウェイ」という、理由がわかった ようなわからないようなレッテルをあげている。
まあ、ヘミングウェイはともかく、暗号に関する部分はひどく面白い。
マニアックではないかと思われるほどにたくさんの現代暗号法の知識が楽しく 理解できるようになっている。

ストーリーは第二次世界大戦のナチス暗号エニグマ解読チームの話やら、旧日 本軍の隠した埋蔵金やら、なぜか時代が飛んで現代のデータヘブンといった金 融ITの話がくっついてくる。
そこにはパソコンオタクやら数学オタクといった魅力的な登場人物がめじろお しで、現実のチューリングやらなぜかマッカーサー大元帥まで登場してくるの だから、面白くないわけがない、はずなのだが。
まあ、コンピュータの黎明期を描くところなども非常に面白い。

けれどこの4巻にわたって書かれている、日本とアメリカの戦争。
舞台はフィリピン。
その冒険小説的なアメリカ軍と日本軍の軍人が遠く現代まで絡んでいく物語が いまひとつ馴染まない。
これがひどく現実感がなく、コミック的な雰囲気なのだ。
あるいは戦争経験がない人間が、戦争映画を見てイメージしたという、緊張感 や殺伐さがないものと言えばよいのか。
戦争の悲惨さを描くのが目的ではないから、こんなことを書くのは的外れだと わかってはいるが、それなら余計なエピソードはだらだらと書かないで欲しい ということなのだ。

また、何度も話の中でこのエピソードはあとで重要なポイントになるのかと思 っていると最後まで何の関係もなかったりする。
これは話題の映画を見終わったあとに文句を言うのと、とてもよく似た感想だ。
まあ、たかが小説じゃないか、てなもんである。
それは、ある意味パソコンゲームを読んでいるような感じでもある。
あくまでこの作者は暗号理論やそれを実現するメディア、モールス信号であっ たり、コンピュータのことを書きたかったのだろう。
しかし広げ過ぎた題材が仇になって、読んでいるうちに何の物語なのかわから なくなってしまった感がある。

それでも前半2巻は楽しかった。
その分、後半の2巻はよけいに苦痛なのであった。
それでもこの小説はかなり売れているらしいし、話題にもなっている。
ユリイカに特集されているぐらいなのだ。
新しい小説だといっている人もいるようだけど、とてもオーソドックスで、あ る意味、退屈な小説でもある。

しかしそれでも前作の「スノー・クラッシュ」も読んでみたくなるのだから、 これがトラッシュな作者の魅力なのか、単なる自分の好みでしかないのか、思 いがわかれるところでもある。
まあ、現代のインターネット技術での暗号をめぐる話や、アメリカ人が秋葉原 を探索している場面などがけっこう面白かったりする。
あるいはフィリピンというアジアの経済繁栄とは切り離されてしまった地域で、 有望な未来市場を開拓しようとするアメリカのビジネスマンの行動原理を読む のが面白かったりする。
結局、それぞれの場面でのマニアックというかオタク的な場面が面白いだけの 小説なのかも知れない、大部な小説でありました。


★羊男★2002.12.15★

物語千夜一夜【第四十四夜】

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