『遊戯の終わり』フリオ・コルタサル

訳:木村榮一 国書刊行会


■短編集■
  1. 続いている公園
  2. 誰も悪くはない
  3. 殺虫剤
  4. いまいましいドア
  5. バッカスの巫女たち
  6. キクラデス島の偶像
  7. 黄色い花
  8. 夕食会
  9. 楽隊
  10. 旧友
  11. 動機
  12. 牡牛
  13. 水底譚
  14. 昼食のあと
  15. 山椒魚
  16. 夜、あおむけにされて
  17. 遊戯の終わり

【感想】

日常のディテールを細かに描きながら、それがいつしか幻想的な物語になっている という不思議な短編集である。
登場人物は、ブエノスアイレスやパリといった街でくらしているアルゼンチンの 人々だ。
例えばその幻想を挙げてみる。
小説の世界がいつのまにか現実へ侵入してくる「続いている公園」。
ホテルの隣室から真夜中にいないはずの赤子の泣き声がする「いまいましいドア」。
動物園の山椒魚に見いるうちに山椒魚になってしまった男「山椒魚」。
子供の内面から日常光景を換骨奪胎させて描く「遊戯の終わり」。
それぞれ予想外の出来事が起った時のように、突拍子もない方向へ物語が進んでい くので、目が離せない。
奇妙に幻覚的な気分になったり、なんとも不快な感覚だったりするが、これは異国 の南アメリカの話だからと、なんとなく納得してしまったりして、とにかく不思議 な短編集である。

フリオ・コルタサルはアルゼンチンの作家である。
いわゆるマジック・リアリズムの代表的作家であるが、この本の訳者あとがきには ラプラタ河幻想文学という紹介がある。
おそらくマジック・リアリズムというレッテルが一般化する前の名称なのだろう。
これはラプラタ河にあるモンテビデオとブエノスアイレスという都市から続々と 幻想的な小説を書く作家が現れたからだという。
1960年代の南アメリカの現実とヨーロッパ的でもアメリカ的でもアジア的でも ないこのファンタジックな感じが伝わってくるこの短編集を読んでいると、なんだ かこの名称の方が21世紀となったいまではしっくりするような気がする。
おそらくは今はもう、この短編集の舞台となっているブエノスアイレスもかなり 変貌しているのだと思うから、そうした意味では当時の風俗を楽しみつつ、小説と しての技巧も味わえる、古典文学化された本でもある。
だから当然、いまとなっては読む人も少ないだろう。
暇なときに図書館で借りて読むにはすこぶる向いているとも言える。

この短編集に登場する人々は紳士淑女であったり、風変わりな老人だっりするけど、 一番感情移入できるのは、子供たちである。
おそらくは著者の過去の幻影を読んでいることになるのだろうが、その光景や心理 的な描写がいかにも憧憬であり、ノスタルジックなのだ。
そしてその光景は私たちの湿気の多い、じっとりとしたそれとは異なって、いかに も乾いた固い土地に上に住んでいるようなくっきりとした、輪郭のはっきりした憧 憬だったりするのだ。
こうした感覚は明らかに私たちの文学には現れ出てこないものだと思う。


★羊男★2002.4.7★

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