『路上』ジャック・ケルアック

訳:福田実 河出文庫


【紹介】
スピード、セックス、モダン・ジャズそしてマリファナ……。
既成の価値を吹きとばし、新しい感覚を叩きつけた一九五○年代の反逆者たち。
本書は、彼らビートやヒッピーのバイブルであった。現代アメリカ文学の原点。

【感想】

ヒッピー、あるいはフラワーチルドレンという、現代の物質文明を嫌悪し、世の中 のあらゆる規範から自由になり、自分たちが本当にやりたいことをこの世界に実現 していこうというムーヴメントがかつてアメリカにあった。
あくまでも若さということが重要な要素を占めていたこのムーヴメントは、私が 興味を持った70年代には既に終わっていたようだ。

それでも少し遅れて日本にやってきたそれは幾許かの熱気を雑誌や本、あるいは テレビに残っていたものだ。
その中で私が情報を得ていたのは主に雑誌で、今とは全く別な雑誌になってしまっ たといったよい「宝島」や「メディテーション」という精神世界をテーマに持って きたものたちだった。
特に好きだった「メディテーション」には米西海岸発の最新の東洋思想が紹介され ていたし、古今東西の哲学思想がカタログ的に載っていたものだった。
さらによくこの雑誌では様々な精神世界の本を紹介していて、その記事に釣られて ゲーテやらニュートン、寺田寅彦やラーマヤーナといったたいして脈絡もない、 あるいは難しいだけでつまらない、いろんな本を読んでみたものだった。
当時は自閉症とまではいかないが、他人と話をすることが苦痛だった頃で、バイト で仕方なく必要最低限の声を出すのみで、あとはひたすらレコードをかけながら本 を読んでいた時期だったのだ。
そうした時代にこの『路上』を読んだ。

そして今回の再読では20年ぐらいの時間が横たわっている。
昔は文学用語で言えばこのビート・ゼネレーションというアメリカ文学のムーヴメ ントに憧れていた頃で、この『路上』というロードノベルはひどく新鮮なものに思 えたものだ。
それを今回読み直してみると、その頃にビートニクスに対してイメージしていた 斬新さとか前衛性といったものはあまり感じられず、どちらかと言えば伝統的な アメリカ文学に位置する小説だったというのが読後感に残った。
伝統的なアメリカ文学ということに関して言えば、スタインベックとフィツジェラ ルドを足して2で割ったという、あまりにも伝統的な青春小説であったということ だ。
私がこの小説に対して印象に残していたのは、本当にこの小説の終わりぐらいで 舞台になる、第三世界的なメキシコのイメージが色濃かったようだ。
どうも読み返してみると、私が考えているビートニクス的な要素はとても少ないの だった。

私が考えているビートニクス的な要素は過激なウィリアム・バロウズであり、アレ ン・ギンズバーグであったのだと思う。
彼らのような前衛性というのは、この小説に限っては少なく、あくまでスタインベ ックの土着的とも言える骨太さ、別の言葉ならば、あまりに人間的でダサイという ことと、都会的な冒険と洗練とが共存している青春小説なのである。
この小説の主人公は小説家である作者そのもので、彼の友人たちとアメリカ中を ヒッチハイクしながら放浪する、ただそれだけの小説なのだ。
ついには国境を越えてメキシコまで行ってしまうのだが、ここは少しトーンが変わ っていて、フラワーチルドレン的なサイケデリックかつ差別的な発展途上国な体験 談が語られていく。

ひどく懐かしい世界であるような肌触りがある小説でもある。
かつてのアメリカ人にはこうした手探りで自分の国や外国を認識していた、といっ たことがとてもわかりやすく感じることもできる。
そういう意味ではフロンティアスピリッツを偲ばせる小説でもある。
ますますもって前衛性とはかけ離れているのだ。

それはアメリカの変貌ということにも大きく関連しているのだと思ったりする。
それほどアメリカというのは変わってしまったのだと思う。
いまのアメリカというのは、戦争にしてもビジネスにしても、スケールは大きいけ れども現実感のないヴァーチャルな感覚がシンボルとなっているような気がする。
地に足がついていない。
まあ、それは日本のサブカルチャーも同様だが。

100年前の素朴なアメリカが良かった、と言いたいわけではなくて、前衛とか 新奇なものが歴史の中に埋没していく過程というものは、こういうことなんだろう、 と言う気がこの本を読んで思ったのだ。
そしてここに差別的に描かれているメキシコという異国を見る視線は、いまのアフ ガニスタンに対してのそれと大差ないことに気付く。
それほどにアメリカと第三世界といったこの構図だけは変化していないのだ。

それでもロードノベルを読むのは楽しい。
ただ決して自分で車を運転したり、ヒッチハイクをして旅をしたいとは思わない。
苦労ばかりでたいへんなだけだと思うからだ。
もう体力的にも精神的にも若くないのだ、私は。


●ジャック・ケルアック
スピード、セックス、モダン・ジャズそしてマリファナ。
既成の価値をふきとばし、新しい感覚をたたきつけた1950年代のアメリカの 反逆者たち<ビート・ジェネレーション>。
ビートやヒッピーのバイブルとまで言われるようになった本書によって時代の ヒーローとなったケルアックは、ギンズバーグやバロウズらとともに「ロスト・ ジェネレーション」とならび称される文学世代を形成した。
(文庫紹介文より)


★羊男★2002.3.10★

物語千夜一夜【第二十九夜】

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