『パラケルススの薔薇』J・L・ボルヘス

鼓直訳 国書刊行会


■バベルの図書館第22巻

【感想】

ボルヘスが編纂した叢書「バベルの図書館」のエキストラ本です。
ボルヘスの短編が4つとボルヘスへのインタビューが載っています。
私はこのあまりにあからさまなインテリ作家の短編がけっこう好きです。
この本の中のインタビューでボルヘス自身は短編よりも長編の方がいいできだと言 っていますが、そんなことはないと思っています。
これほど短編に輻輳的で硬質な世界を描ける作家というのはそんなにいないと思い ます。
それはこの作家ほどに万巻の書を読み込んだ上で小説を書くという、作家の理想型 みたいな人はそうそういないからです。
このボルヘスの面白さというのはヨーロッパ世界の該博な知識の上で想像力豊かに 遊んでみせるという、ディレッタンティズムの極みのような世界を手のひらに広げ てみせるところにあります。

ボルヘスのような特異な作家がアルゼンチンはブエノスアイレスという街から出て きたというのは、いまだに不思議に思っています。
いまはとんでもない経済状況に陥っているブエノスアイレスですが、以前ボルヘス を題材にした前衛映画の中でこの街の光景を見たときから、私にとっては一度は行 ってみたいボルヘスの街なのです。
まあこうした逆にラテンアメリカというヨーロッパとは隔たった場所でなければ、 これほど自由に西洋の知識を手玉に取ることはできなかったのだと思うこともあり ます。

この短編集でもタイトルとなっている短編のようにパラケルススというその世界で は非常に有名な錬金術師を魅力的に描いたものもあれば、ドッペルゲンガーといっ た西洋文学では伝統的なモチーフを時間的な要素を加味してもてあそんだりしてい ます。
また「青い虎」という短編は、インドという国の太古から続く神話性と数学のイメ ージをうまく使った、非常に幻覚的な内容です。
岩波文庫に入っている『伝奇集』をはじめとして、これらの短編はとても精巧かつ 絃学的に構成されているので、何年か経た後に読むと些細な個所で新たな伏せんを 発見したりすることもしばしばあるのです。

そしてこの短編集にも見られる「円環」というイメージをボルヘスはよく使います。 これも私がボルヘスの作品の中で好きなアイテムのひとつです。
この本の中にあるインタビューでボルヘスはこのイメージについて触れていて、も ともとは父親を通して18世紀のスコットランドの哲学者であるヒュームから発想 をもらってきていると話しています。
その考えは、「もし世界が限られた元素から成り立っているならば、また、もし時 間が無限であって、各瞬間に依存しているならば、次の瞬間が繰り返されるために は、宇宙の運行の一瞬が繰り返されるだけで十分である」と語っています。
こうした限定された我々の世界で時間だけが無限であるとするなら、物質は輪廻す るはずだという考え方は古くはインド、あるいはピタゴラスにまで遡れると言って います。
こういうトリック的ともいえる世界観の中で空想遊びとして小説を書くボルヘスと いうのはとても洗練された娯楽を提供してくれるのです。

まあ普通はこうしたディレッタンティズムは好事家しか手を出さないような、つま らないものが多いなかで、ボルヘスの作品はとても子供っぽくて、いやらしさがな い処がとても心地よいのです。
あと、ボルヘスを読むといつも思うのが芥川竜之介の短編との類似性です。
ほんとにその小説の結構とかがよく似ているんですね。
どこかの出版社で、ボルヘスと芥川の短編をごっちゃに混ぜた本を出してくれると うれしいなあと勝手に思ったりもしています。


★羊男★2002.2.17★

物語千夜一夜【第二十七夜】

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