『ウッツ男爵』ブルース・チャトウィン

池内紀 訳  文芸春秋社


【紹介】
「百塔の都」プラハ。磁器の冷たい輝き。マイセン人形に魅入られた男がいる。
洒落た小説――少し皮肉で多少ともペダンティックで語り口が絶妙、まさしく読みたいような小説だ。

【感想】

この小説の舞台はプラハ、時代はあの「プラハの春」をはさんだ冷戦下である。
マイセン磁器のコレクターであるウッツ男爵の奇怪な生活とその死後、行方がわか らなくなってしまった膨大なコレクションをテーマに、語り部として著者チャトウ ィンらしき人物が無駄のないソリッドな文章で綴る、非常に完成度が高い小説です。
これはもう職人芸とでも言いたくなる様な、まさにマイセン磁器のようなリリカル な物語世界を楽しむことができます。

初めて読んだこのブルース・チャトウィンという人を私は、いかにも年季の入った 小説家だと想像していたのですが、『パタゴニア』というすばらしい紀行文を書い ている実は旅行記の方が有名なイギリス生まれの、既に鬼籍に入ってしまっている 作家なのでした。

ブルース・チャトウィンは1940年に生まれているので、まだ生きていれば六十 過ぎ。まだまだ若い作家だったのですね。
美術オークションで有名な「サザビーズ」の美術鑑定家をしていたチャトウィンは 突然そこを辞めて南米はパタゴニアへの放浪へと出奔してしまったという変わり者 であったようです。
その後「サンデー・タイムス」のジャーナリストを経て作家となります。
「パタゴニア」や「ソングライン」といった芸術の香り高い作品により将来を嘱望 されながらたったの六作品だけを遺して1989年に夭折しています。

この作家、写真で見るとなんだかランボーのようないぶし銀的なかっこいい男であ り、まさに映画に出てくるような詩人の容貌をしています。
私はこの『ウッツ男爵』しか読んでませんが、こうしたプロフィールを読むと確か にこの物語は世界を放浪した末に生まれるべく生まれた、ぴんとした生の肌触りの ような生糸の強さと、豊かな博識がミックスした贅沢な文章が作り成していること が実感できます。
あるいは時間をかけて丹念に自分の好みの落ち葉を静かに拾い集める、といった詩 人のような感性を持った作家と言えるでしょうか。

海外でもやはり人気のある作家のようで、既に3つの作品が映画になっています。
この『ウッツ男』も「マイセン幻想」という邦題で公開されていたようです。
またあのヘルツォーグの「コブラ・ヴェルデ」の原作もこのチャトウィンの本だっ たのですね。ほんと知らなかったです。この映画は好きだったのに。

ブルース・チャトウィンという作家は、文章読本にあるような「自己表現」という ようなものとは正反対の、あくまで他者への関心、興味といったものが中心となっ ています。
そうした自己を消しているあたりや、死の原因となった旅の途上で拾ったという骨 髄を冒す奇病を宿してしまった彼には、非常に興味を持たざるを得ない何かがあり、 これから少しづつ彼の残された作品を読んでいくのはとても楽しみなことです。


★羊男★2001.11.25★

物語千夜一夜【第十九夜】

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