『三つのブルジョワ物語』ホセ・ドノーソ

木村榮一訳 集英社文庫


【紹介】
甘い生活に秘められた悲喜劇!スペインのブルジョワの姿を、コメディタッチで風刺的に描いた作品集。
「チャタヌーガ・チューチュー」「緑色原子第五番」「夜のガスパール」を収録。

【感想】

この3つの中編が入った本はマジック・リアリズムという便利な言葉通り、幻覚的 でもあるし、妙に現実的でもあるラテンアメリカの小説です。
この3つの中編を書いたホセ・ドノーソは、チリの作家です。
チリというラテンアメリカにある細長い国は、日本ではあまり馴染みがないところ のひとつでしょう。
どちかというとこの国の領土であるイースター島の方が有名かも知れないですね。
この小さな島の方に、チリで一番大きな空港があるくらいですから。
あと有名なものはあまりない国だと思うのですが、上は熱帯地域から下の南極付近 まであるこの国を縦断してみたいと思う人はけっこういるのではないかと思います。
このチリで世界的に有名な作家のひとりとして、このホセ・ドノーソがいますが、 他にノーベル文学賞作家のパブロ・ネルーダがいます。
あとは日本で知られている作家は、イザベル・アジェンデぐらいでしょうか。

さて、このホセ・ドノーソはこの国の首都サンチャゴの典型的なブルジョワ家庭で 育ったようで、この本の舞台である「ブルジョワ」の光景や雰囲気はみずからの生 まれ育った環境からきています。
この本の中の「夜のガスパール」という中編は、自伝のようでもあり、主人公であ る少年が自分をもてあまし、何か分からないものを探し求めて模索しているピュア な光景が描かれています。
その後もドノーソは、学校にもなじめず、スラム街をうろついたり、モームやディ ケンズといった本を読み耽る毎日をおくっていたようです。
さらに小説家になろうと決意した彼はその後、チリとスペインを往復するようにな ります。
というのもその頃のチリは軍事独裁政権がチリを支配しており、その閉鎖的な雰囲 気に耐えられなかったようです。
この本にもこうしたスペインとチリの光景は明暗的に描かれています。

次にこの3つの中編について書いてみたいのですが、読んでいて感じたのはそれぞ れ絵画的な雰囲気を持っていることです。そんなことも含めて紹介してみます。

「チャタヌガ・チューチュー」

アメリカのポップスから題を取っているこの作品はペニスをめぐる抱腹絶倒のコメ ディです。
夫婦の間の出来事や愛情というのをとても面白おかしく描いています。
はじめは、登場人物たちが痴話喧嘩をしていてごくふつうの光景だったのですが、 だんだんと素っ頓狂な展開になっていき、人々がお互いの体をまるでマネキンのよ うに取り替えたり、化粧のように顔をかいたり消したりする、変な小説なのです。
すぐにイメージ化されるのが、デ・キリコの形而上期の「マネキン」たちですね。
夢を主役とする超現実的な物語を思わせる形而上学的な透視図法が本の行間から浮 かび上がってくるような小説です。

「緑色原子第五番」

これは家の中にあるモノに執着する主人公が克明で執拗な筆致で絵画や燭台、文鎮 といった家具を語り、次第にそれらが消えていくために狂気的な世界に陥ってしま う不条理な物語です。
なんとなく日本の家庭でも時々あるような強力な物欲に支配されたホワイトカラー 夫婦が壊れていく話であり、これもパラノイアックな悪夢のようなヘンな小説なで す。
この繊細なタッチが17世紀オランダの最も優れた風俗画家であるフェルメールを 思わせます。
ドノーソの家具に対する緻密な筆致が非常にこの魅惑的な色彩感覚を持つ画家の絵 を連想させるのですね。
色彩と光が揺らぐフェルメール的な寓意をもつモノ世界を描いた小説なのです。

「夜のガスパール」

この小説はブルジョアな家庭や両親に馴染めない少年の彷徨を描いた、二重人格小 説といってよいのでしょう。
印象深いラストを持ったナイーブな小説でもあります。
タイトルは言わずと知れたラヴェルのピアノ作品「夜のガスパール」。
難曲と知られ、世のピアニストたちがこぞって取り上げるピアノ曲ですね。
同名の本も多く、ベルトランの散文詩や読んだことがないけど筒井康隆の本にもあ りますね。
この小説はスペインはセビリアの画家、ムリーリョの描く世界とよく似ていると思 います。
魂の救済を求める民衆の信仰心を巧みに図像化して、セビリアの大聖堂、修道院な どに多くの作品を残しています。
その鮮やかな色彩は純潔的なるものをうまく表現しています。
少年時代の無垢さとその気高さが、ムリーリョの宗教画とよく似ている気がするの です。


★羊男★2001.10.28★

物語千夜一夜【第十八夜】

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